今日、 『 有田 』 = 『 陶磁器 』 というイメージが定着したことで・・・
『 有田 』の窯業の歴史が、磁石鉱発見以降のことの様に思えてきますが・・・
実際には、磁石鉱発見以前より、この周辺では窯業が盛んに行われていたようです。
もちろん、その当時磁石は発見されていませんので、『 陶磁器 』生産は不可能ですので、
今の『 唐津焼(古唐津) 』の様な、『 陶器(土物) 』の生産が中心で行われていたようです。
この様な下地があって、今日の『 有田 』の『 陶磁器 』の歴史があると言えるのかもしれません。
そして、もう1つのきっかけとも言えるものに、『 豊臣秀吉の朝鮮出兵 』があります、
これにより、肥前地区にその拠点が置かれ、各地の諸大名はもとより、京、大阪の豪商や茶人らの往来が繁くなることで、商的基盤ができたことと・・・
出兵から帰国の際に、朝鮮から連れ帰った数多くの工人陶工達の活躍が、今日の肥前皿山の礎となったことは間違いありません。
そうして、朝鮮より帰化した陶工達は、肥前佐賀鍋島領内や、肥前平戸松浦領内、薩摩島津領内などに住みつき、その地区の窯業発展へと寄与していきました。
そして1605年前後、 ついに『李参平』によって磁石鉱が発見されます・・・『 日本磁器の夜明け 』です・・・
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